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室町文化の代表-金閣寺と銀閣寺

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金閣寺

室町時代に建立された金閣寺と銀閣寺と言えば、その両者とも京都を代表するような建築物です。京都を訪れた際には、どちらも是非行っておきたい名所です。両者とも京都府京都市にあり、文化遺産としてユネスコの世界遺産に登録されていて、古都京都の文化財と言われています。それでは、それぞれの違いをその特徴などを元に比べてみたいと思います。

金閣寺は、正式には鹿苑寺(ろくおんじ)と言い、臨済宗相国寺派の寺院で京都市北区にあります。建物の内側にも外側にも金箔を貼ってあり、三層から成る楼閣建築の舎利殿が金閣です。この舎利殿を含めて寺院全体のことを金閣寺と呼んでいます。鎌倉時代の1224年に藤原公経(西園寺公経)が、建立した西園寺は、西園寺家の没落とともに没収されましたが、その西園寺を譲り受けた室町幕府三代将軍の足利義満が、改築や新築によって造営したのが金閣寺です。1950年に放火によって、国宝である金閣(舎利殿)やそこに安置されていた仏像などが焼失してしまいました。現在の金閣は、国からの補助金や寄付金によって1955年に新しく建て替えられたものです。以前の建物の古い図面や資料などを基に復元された現存の建物は、当時の北山文化を代表する建造物です。北山文化と言えば、伝統のある公家の文化と新たに武家の文化とが融合し、そこに日明貿易による禅宗を通して、大陸の文化の影響も入り混じってできた文化です。

一方、銀閣寺は正式には慈照寺と言い、京都市左京区に位置する臨済宗相国寺派のお寺です。パッと一見して感じることは、金閣寺に比べて外観がとても地味であると言うことです。慈照寺の観音殿を銀閣と呼びます。銀閣(観音殿)は、1490年に建てられた木造2階建ての楼閣建築です。一階が住宅様式の書院造りで、二階は禅宗様式(唐様式)の仏殿と言った構成になっています。慈照寺は、室町幕府八代将軍足利義政の菩提を祀るために創始されました。義光時代のきらびやかな北山文化とは対照的に、義政の時代の東山文化は公家、武家と禅僧らの文化が融合した質素で簡素ながら気品のある「わび、さび」に通じる文化です。応仁の乱によってすっかり疲弊してしまった京都経済など当時の状況を反映して生まれた文化であったと言えるでしょう。金箔を貼り巡らされた豪華で華麗な金閣と違い、銀閣は銀箔などの装飾は施されずに質素な黒漆塗りの外観となっています。銀閣寺は、義政が祖父である義光が建てた金閣寺を模して作られたと言われています。その割には、なぜ銀箔が貼られていなかったのでしょうか。その理由としては、経済的な事情によるとする説や義政が完成前に亡くなってしまったなど諸説あるようです。

同じ京都にある室町時代の伝統的な建築物として、貴族的なきらびやかで華やかな北山文化の代表である金閣寺と、わび・さびや幽玄に通じる簡素でありながら品のある美意識による東山文化の代表である銀閣寺、この対照的な二つの寺院を訪れて室町文化の本髄に触れてみるのも味わい深いと思います。

銀閣寺

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