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禅宗庭園ー枯山水

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枯山水

大乗仏教の一派である禅宗は、鎌倉時代に中国から伝えられました。その禅宗は、源氏から武家政権を受け継いだ北条氏によって保護され、広まって行きました。鎌倉時代から室町時代にかけての時期、五山を中心として禅僧たちに文学が愛好され、活気を帯びていました。当時、水墨画や山水画も南宋から伝わって来るようになり、禅僧たちによって公家も含めた詩会が行われていました。この詩会の活動の場として、多くの場合、禅寺の書院が使われていました。このようなことから、禅寺の書院の庭が発達するようになりました。書院は小さいものですが、その前にある庭の狭い空間に、自然の山水を模したミニチュアのような庭を作り出していました。

室町時代には、禅宗寺院では抽象的な表現をした庭が多く用いられていました。そして、発達していったのが枯山水です。枯山水とは、水を使わない庭のことですが、池ややり水などにも全く水を使用しないで、代わりに石や砂などを使って、山水の景色を表現している庭園の技法です。橋の下に小石や白砂を敷き詰めて、それを水面のように見立てると言うような手法がよく見受けられます。水の流れを石の表面の模様を元に表すと言うようなこともよく行われています。このような抽象的な庭園の表現方法は、新たに造られるものばかりでなく、従来あるものの一部に取り入れられるようなことも多くありました。大名屋敷の回遊式庭園や寝殿造りの庭園などにも一部枯山水が取り入れられたりしました。禅宗寺院に用いられるようになってからは、独立した庭として造られるようになりました。日本庭園では、水を引ける場所に庭が造られるのが当たり前でしたが、この枯山水様式が使われるようになってからは、水のない場所に庭園を造ることが可能となりました。

京都府京都市西京区にある西芳寺(さいほうじ)や同じく京都市北区の大徳寺の枯山水の庭園が有名です。京都市左京区にある龍安寺(りょうあんじ)の庭園は、「龍安寺の石庭」として有名です。「虎の子渡しの庭」または、「七五三の庭」とも呼ばれています。白砂を敷き詰められた、およそ25メートル×10メートルほどの空間に、大小15個の石を配置しています。この石庭の石は、どの場所から見ても必ずどれかひとつの石しか見えないような配置がされています。西芳寺や龍安寺は、夢窓疎石の作による庭園です。

五代執権の北条時頼が創建した、日本で初めての本格的な禅宗専門道場である神奈川県鎌倉市の建長寺には、初期の禅宗庭園の様式を現代に伝えている美しい庭園があります。また、同じ鎌倉には夢窓疎石作の瑞泉寺(ずいぜんじ)の庭園があります。池泉式の庭園には、巧に岩盤を削って造られた天女洞や池、滝、橋、中島などが備わっています。植栽や石組みなどの余分と考えたものをすべて排除し、必要なものだけを使い、美を追求している特筆すべき庭園です。

龍安寺の石庭

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