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出雲大社

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出雲大社

大社造りと呼ばれる建築様式の出雲大社は、その社殿の高さが八丈あります。これは、およそ24メートルに相当し、日本で一番大きな神社と言えます。通常、神社では本殿にご神体がお祀りされているものですが、出雲大社のつくりはと言うと、本殿の中にまた社があると言う二重の構造になっています。出雲大社の本殿の中は公開はされておらず、中に入ることが許されるのは、出雲の国造(いずものくにのみやつこ・こくそう)と言う名で呼ばれている出雲大社の神職のみなのです。そのような構造でもあるため、出雲大社のご神体が何なのかは、はっきりとしていません。本殿の内部に社があると言うことは、本殿にご神体をおさめるのではなくて、祭儀を行う場所であったと思われます。江戸時代から残されている図によると、神として国造自身が祭儀の対象と考えられていたことを示唆しています。国造は神と同様の存在として考えられ、神、または人の姿によってあらわれた現人神(あらひとがみ)とも言えるのでしょう。

神のような扱いを受けていた出雲国造の存在とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。神職のイメージが色濃い国造ですが、実は出雲に限らず、阿蘇神社をつかさどる阿蘇国造(あそのくにのみやつこ)や日前宮(にちぜんぐう)(日前神宮(ひのくまじんぐう)、国懸神宮(くにかかすじんぐう))をつかさどる紀伊国造(きのくにのみやつこ)が代々受け継がれています。元々、国造と言えば、それぞれの地域を支配していた地方の豪族が大和朝廷から国造と任命されたのが始まりでした。徐々に、国造は地域を支配するだけではなく、祭祀をつかさどるようになっていきました。ところが、大化の改新後には地域を支配していた権力は国司に奪われてしまい、祭司のみを行っていくようにその役目を変えていきました。

しかし、出雲国造は他の神職とはそのあり方に違いがあります。特別な祭儀として「火継式(ひつぎしき)」と言うものがあります。国造の地位を受け継ぐと亡くなるまで、「斎火殿(さいかでん)」と言うお火所で神火を灯し続けます。そして、この神火で調理したものしか食べません。この神火で調理されたものは例え家族であっても食べることはできない神聖なものなのです。また、先代の国造の葬り方も特別な方法を取ります。遺体は赤い牛に乗せて運び、出雲大社から見て東南の方角にある菱根の池に水葬されると言います。国造は、その祖先である天穂日命(あまのほひのみこと)と同一であるとされているため、永遠に生き続けられると考えられていて、お墓は作られません。

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