コラム

臨済宗ー南禅寺

投稿日:

南禅寺

日本において禅宗は、臨済宗(りんざいしゅう)、曹洞宗(そうとうしゅう)、黄檗宗(おうばくしゅう)の三宗です。それぞれの日本での宗祖は、臨済宗が栄西、曹洞宗が道元、黄檗宗が明の僧である隠元です。これら禅宗三宗のうちで臨済宗の寺院が、京都市内においては圧倒的に数が多いです。臨済宗は十四派にわかれていますが、京都市左京区にある南禅寺は、臨済宗南禅寺派の大本山です。正式な名称は、瑞龍山太平興国南禅禅寺(ずいりゅうざんたいへいこうこくなんぜんぜんじ)で、本尊は釈迦如来です。開基は亀山法皇で、開山が無関普門(大明国師)です。南禅寺は、日本のすべての禅寺のなかでも最も高い格式をもち、京都五山でも別格、鎌倉五山においても別格上位の扱いです。日本では最初の勅願禅寺でもあります。勅願寺(ちょくがんじ)とは、その時の天皇や上皇が発願して国家鎮護や皇室繁栄などの祈願のために創建された祈願寺のことを言います。

臨済宗は、その教義ばかりでなく室町時代の文化に大きな影響を及ぼしました。金閣を代表とする北山文化や銀閣をはじめとする東山文化をおこしました。栄西が招来した茶の湯は広まりを見せ、大徳寺においての千利休の茶道へと発展して行きました。また、絵画や書などの芸術作品も生み出されることになりました。

歌舞伎の「楼門五三桐」(さんもんごさんのきり)での石川五右衛門のセリフ「絶景かな」で有名な南禅寺の三門は、造りが五間三戸の二重門です。大坂夏の陣で戦死した武士たちの冥福を祈るために藤堂高虎が寄進したものです。上層は「五鳳楼」と呼ばれ、十六羅漢像や釈迦如来のほかにも歴代の藤堂家位牌や大坂の役での戦死者達の位牌などが安置されています。天井に描かれた天人と鳳凰の図は、狩野探幽の作品です。東本願寺御影堂門、知恩院三門とならび京都三大門の一つです。

国宝に指定されている方丈は、大方丈と小方丈から成ります。大方丈の仏間以外の各室には、狩野派の障壁画があって重要文化財に指定されています。小方丈には狩野探幽作の障壁画があります。「虎の児渡しの庭」とも呼ばれ、名勝にも指定されている方丈前にある枯山水庭園は小堀遠州の作と伝えられています。巨石群や植栽、刈込が一箇所にまとまっていて、拡張の高い落ち着きのある借景様式で、気持ちが安らぐ庭園となっています。

南禅寺の境内へと続く参道を中門の手前で南に曲がると、南禅寺の塔頭の一つで、その中でももっとも雄壮な金地院(こんちいん)があります。金地院は、足利幕府四代将軍足利義持が鷹峰(たかがみね)に創建したものを、のちに以心崇伝が現在の地に移したと言われています。以心崇伝は、「黒衣の宰相」と言う異名を持つほど当時は権勢をふるっていました。徳川家康の外交文書の書記役から側近となると、権勢をほしいままにし、その待遇は十万石の大名と並ぶものでした。崇伝の権威は秀忠、家光の代までおよそ二十五年もの間つづくこととなった稀代の政僧です。その間、崇伝は鎌倉や京都の臨済宗寺院の頂点の座に君臨していました。

南禅寺南庭

-コラム

Copyright© 神社仏閣めぐり.com , 2018 AllRights Reserved.