コラム

哲学の道3

投稿日:

法然院

哲学の道を「松虫鈴虫寺」と言う通称でも呼ばれる安楽寺から少し北に歩くと、山腹に林が見えてきます。その辺りはもう法然院の寺域になります。林の奥には法然院墓地があって多くの著名人たちがそこに永眠しています。法然院墓地には、昭和九年没の東洋史学者内藤湖南(こなん)、昭和十六年没の哲学者九鬼周造(くきしゅうぞう)、昭和二十一年没の社会思想家河上肇(はじめ)、昭和四十年没の谷崎潤一郎、昭和四十一年没の歌人川田順、昭和四十九年没の日本画家福田平八郎、昭和五十二年没の作家稲垣足穂(たるほ)などのお墓があります。

法然院は正式な名称を「善気山法然院萬無教寺(ぜんきさんほうねんいんまんむきょうじ)」と言い、浄土宗捨世派(しゃせいは)の寺院です。そのはじまりは鎌倉時代に法然が弟子たちと六時礼讃(ろくじらいさん)を唱えた念仏道場に由来すると言われています。六時礼讃とは、念仏三昧行のひとつで、浄土教の法要のことです。一日を六つに分けて(晨朝(じんちょう)、日中、日没、初夜、中夜、後夜)、中国の僧・善導の「往生礼讃偈(おうじょうらいさんげ)」を基にした読経や念仏、礼拝を行うものです。その後、この道場はしばらくは荒れ果てていましたが、1680年(延宝八年)知恩院三十八世の万無心阿(まんむしんあ)とその弟子の忍徴(にんちょう)により中興されました。

法然院の山門は、紅葉樹木の間からのぞく情緒あふれる茅葺きの門です。恰好の記念写真スポットとなっています。山門をくぐると目に飛び込んでくるのは、法然院の名物とも言える「白沙段(はくしゃだん)」と呼ばれる白砂で造られた長方形の固まりが小径を挟んで両側に二つ配された風景です。

本堂には、本尊の阿弥陀如来坐像と法然上人立像などが安置されています。方丈の建物は、1687年(貞享四年)、宮中から後西天皇の内親王の御座所を移してきたものだと言われています。方丈内の狩野光信作の襖絵は、重要文化財に指定されています。

南禅寺から銀閣寺に至る哲学の道をめぐる散策の最後は、法然院をさらに北へと向かった先にある銀閣寺です。室町幕府八代将軍によって建立された銀閣寺は、銀閣寺と言う名で有名ですが、本来の寺の名称は慈照寺(じしょうじ)です。観音殿のことを銀閣(ぎんかく)、観音殿も含めて寺全体のことを銀閣寺(ぎんかくじ)と言います。慈照寺の門から庭園を結ぶ入り口の道の両側には高い垣根があって、下部は石垣、中段は竹垣、上段は椿の生垣となっていて、銀閣寺垣(ぎんかくじがき)と呼ばれています。銀閣寺の庭園の構成は独特で、円錐形に砂を盛り上げた「向月台(こうげつだい)」、砂を一段高くならしそこに太い筋文様を入れた「銀沙灘(ぎんしゃだん)」が造られています。

銀閣寺向月台

-コラム

Copyright© 神社仏閣めぐり.com , 2018 AllRights Reserved.