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北野天満宮

投稿日:2017年5月2日 更新日:

天満宮とは菅原道真を祭神とする神社のことを言います。大阪北区の天満宮、京都の北野天満宮や、福岡県の太宰府天満宮などのほかにもいろいろとあります。天満宮は「天神」、「天神さま」「天神さん」とも呼ばれます。
菅原道真の神号が天満大自在天神なのです。菅原道真の御霊を神格化した神です。

なぜ菅原道真が祀られることになったのか……

多くの神社で菅原道真が祀られることになった理由はなんなのでしょうか。

菅原道真は、とても優秀なお方であり30歳にして貴族の入口とされている従五位下に叙せられ、3歳では最高位の教授職である文章博士に昇進しました。

しかし菅原道真のスピード出世をよく思わない人たちも多かったようです。宇多上皇の意向で右大臣に抜擢され、事実上朝廷のNo.2への昇格するものの、寛平9年に即位した醍醐天皇 は影響力の排除を警戒して、道真を太宰権帥として北九州に左遷してしまうことになります。

「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」とは菅原道真が詠んだ歌です。

菅原道真は北九州に左遷されそして二年後の延喜三年に大宰府で死去します。

死後京で異変が相次いで起こる……

菅原道真が死去したあと、京で異変が相次いで起こることになります。藤原時平が39歳で病死し、道真の後任の右大臣源光が死去し、醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王、その息子で皇太孫となった慶頼王も次々と亡くなったのです。

大納言藤原清貫をはじめ、朝廷要人に多くの死傷者が出た清涼殿落雷事件が起こり、醍醐天皇は病気になり崩御します。更に洪水で多くの町屋が破損し、水疱瘡が大流行、咳病の大流行などがあり、朝廷は菅原道真の祟りだと考えたのです。

そして「道真の祟り」を鎮めようと北野天満宮が建立されることになります。そして天災が起こるたびに道真を「天神様」として信仰する「天神信仰」というものが全国に広まりを見せることになります。

菅原道真はなぜ学問の神様なのか……

菅原道真公は、中流貴族の学者家系であり、とても頭脳が明晰な方で右大臣にまで昇りつめたのです。菅原道真はまずは雷の神「火雷天神(畏怖・祈願の対象とする神道の信仰)」であり、ここに頭脳が明晰であることで「学問の神様」という呼び名が付随したものと考えることが出来ます。

ここ北野天満宮は、京都市上京区にある神社です。道真は梅をこよなく愛したことは有名ですが、梅が神紋となり2万坪もの敷地には50種・1500本もの梅が植えられています。命日にあたる2月25日には「梅花祭」が行われて「梅花御供」とよばれる特殊神饌が献供されています。

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