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尾山神社

投稿日:2017年7月21日 更新日:

多くの方々が金沢という街は文化レベルの高い街という印象を持っているのではないでしょうか。「尾山神社」も金沢の文化レベルを高めている理由のひとつであり、とても美しい神社なのです。そこにはしっかりした歴史的背景があるからこそ、神社のパーツひとつひとつがきらめいているのです。そんな神社が夜になればライトアップされて、昼以上にキラキラと輝いています。

 

出典:公式サイトより

尾山神社ってどんな神社なの……? 歴史を探る

 

慶長4年に利家公が亡くなり、二代利長公は利家公を神として祀ろうとしました。しかし前田家は外様大名の立場であり、なかなか神社創建にまで踏み込むことは出来なかったと言われています。そして利長公は、守護神としていた「物部八幡宮」、「榊葉神明宮」を遷座する名目で、卯辰山麓に社殿を建立し、利家公の神霊を合祀するという策に出、それが「卯辰八幡宮」になります。廃藩置県後に利家公の功績を不朽に伝えんとし、明治6年(1873年)には歴代藩主の別邸であった金谷御殿跡に「尾山神社」が建立されます。

 

まず多くの人たちを魅了させるのは、「神門」です。「神門」には、ギヤマン(ガラス製の酒器などの細工物)がはめ込まれてあり、和・漢・洋折衷様式のとても異国情緒の漂うハイカラな感じなのです。

 

そして、神門をくぐって見えてくるものが「ご社殿」です。 入母屋造(いりもやづくり)(上部は切妻造りのように二方へ勾配をもち、下方は寄せ棟造りのように四方へ勾配をもつもの)がとても立派です。

 

欄間は約八寸の厚さの欅の一枚板に「梅花紋」が透彫されています。ここでも鮮やかな色合いと華麗な彫刻の技につい足を止めてしまうことでしょう。 (旧金谷御殿から移築されたもの)

 

・槍の又左 前田利家公像

 

槍の名手だった「槍の又左」前田利家公像があります。 前田利家公は織田信長の家臣で、のちに豊臣秀吉に服属することになります。柴田勝家にかわり北陸最大の大名となることになりますが、徳川家康と肩を並べるほどの勢いを持つことになるものの、豊臣秀吉が亡くなり、8か月ほど後に彼も病死してしまったとのことです。 豊臣氏の滅亡が決定的とされる一因だったとも現在言われています。

 

像は槍の名手「槍の又左」と呼ばれていただけあって、槍を持って馬に乗った勇ましい姿です。

どんな御利益が……?

 

尾山神社 では加賀百万石の礎を築いた「前田利家公」と「お松の方(利家公とはいとこの関係・利家公の危機を何度も救ったと言われています)」をご祭神としています。ここには「勝負運」の神様がいるといわれていて、地元でも知る人ぞ知る強運のパワースポットです。その為スーツ姿のサラリーマンなどの参拝者も多く見かけます。

 

アクセス

尾山神社は金沢市内にあるので簡単に行くことが出来ます。 金沢駅からバスで10分(北陸鉄道バス) 南町下車から徒歩で3分 。石川県金沢市尾山町11-1

 

金沢百万石まつりを楽しむ

 

毎年6月中旬に行なわれている「金沢百万石まつり」は、前田利家公の偉業をしのんで開催されるものです。尾山神社で行われてきた封国祭に合わせて大正12年に始まった金沢市祭がそのルーツです。昭和27年金沢市と金沢商工会議所による商工祭りが第1回であり、 金沢百万石まつり自体は歴史が深いということではありませんが、石川県あげての祭りと言えるほど規模は大きいものです。百万石行列では飽きることのない華やかなパレードが行われます。

 

・「勝守」にも注目したい

 

利家公が愛用したと言われる大鯰尾形兜も必見です。そしてこの兜を模して「勝守」というお守りも社頭で授与されています。

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